ストレスで人は発熱するらしい
先日、風邪でもないのに37.2度の微熱が出た。
ただお腹は壊していたので、忙しさやストレスからきっとまた軽い胃腸炎にでもなったのだろうと思っていた。(胃腸の弱さではちびまる子ちゃんの山根君と互角な気がしている)
けれど、今回はいつもと様子が違っていた。
胃腸の調子が戻った後も、なかなか微熱が下がらないのだ。
相変わらず風邪の症状は無いし、胃腸の調子も元通りで、正直どこが悪いのかわからない。
こうなってくると、人の思考はなぜかスピリチュアルな方向へと向かい、何者かが夜な夜な自分の藁人形をカンカンしている可能性も考えたが、直近そこまでの恨みを買った覚えはない。
となると、、残る心当たりは大量のストレスだろうか。。(はじめからこっちやろ´Д`)

実は世の中には、心因性発熱というものがあるらしい。
ストレスによって自律神経が乱れ、体温調節機能に影響が出ることによる発熱だそうで、風邪などの感染症による発熱とはメカニズム自体が異なるとか。そのため解熱剤も効かないらしい。
熱の他には頭痛や吐き気、腹痛、倦怠感などを伴うこともあるそうで、まさに先の私の症状(胃腸の不調と倦怠感)にも当てはまっている。
今回はっきりそう診断されたわけではないが、実はこれまでにも何度か原因不明の発熱があった。
一つは、パニック障害と診断されてまだ日も浅い頃。
初めは軽い熱中症かと思っていたが、2週間ほどナゾに37.2度くらいの微熱が続いた。
当時の自覚要因としては、パニック発作への強い不安、それによる人付き合いへの恐怖や難しさなど、、やはり大量のストレスがあった気がする。
もう一つは、一気にさかのぼって高校時代。
運動会のある競技(集団行動的な)の練習をさぼっていた私は、大会前日にリーダーから呼び出されて居残り特訓を受けた。普段は温厚なリーダーの深すぎるため息にさすがに危機感を覚え、帰宅後もせっせと自主練にいそしんだ。
寝る時に、もし明日間違えたら(社会的に)殺されるかもしれないという不吉な考えがよぎったが、結果的にはそうはならなかった。
そう、なんと間違えなかったのだ!やったよ、リーダー!!
……と言えたらどんなによかったか。。
実際は、翌朝37.9度の急な発熱(風邪ではない)により、あえなくリタイア。
リーダーの秘めた熱い思いも、私の(たった1日の)努力も、全て泡と消えたのだった。
普通に生きているだけなのにストレスが溜まるのはなぜ?
運動会の時は自業自得として、じゃあ今回は発熱するほどいったい何がストレスなのか?
私は自分に問いかけてみた。
仕事や職場の人間関係、家族、将来への不安等々、案の定わんさか出てきたわけだが、冷静に見ていくと、ある傾向が明らかになってきた。
それは、一つは「自分一人がもんもんと考えても解決しないことを悩んでいる」ことだ。
例えば、両親がしょっちゅう言い争いをしていることとか、人の異動やシステム障害などが重なって2ヶ月連続で経費が払われなかったこととか。。
両親には心穏やかに生きてほしい(というか同じ家にいる私が心穏やかに生きたい)と、どうすれば二人がくだらない喧嘩をせずにいられるかに心を砕き、喧嘩が起こる度に密かに胸を痛めてきたが、よく考えたら自分以外の誰かを喧嘩しないようにコントロールすることなんて不可能である。
私は全知全能の神ではない。
二人のくだらない喧嘩に一喜一憂することこそ、この世で最もくだらないことだと気づいた。
経費が払われなかったことに関しては、もはや不運というしかほかない。
1度ならまだしも2度はさすがに怒りで噛みしめた奥歯が欠けそうだが、私一人でイライラしてもどうにかなる事案ではない。あと1度だけ、彼らにチャンスを与えることとしよう。
二つ目は、両親の喧嘩にも通ずることだが、「期待通りに誰かが動いてくれないことにイライラしている」ことだ。
例えば仕事関連だと、さっきも私が電話を取ったのだから、たまには電話取ってほしいとか、、わざわざ言わなくてもこれはやっておいてくれるだろうと思っていた仕事が放置されていたとか、、本当に些末なことである。
些末なことだからこそわざわざ言うのも角が立つなと言葉を飲み込み、だけど小さなことも積もれば山となる。。うーん。。
ただ冷静に考えれば、こうすべき、ああすべきという考えはあくまで私自身の物差しであり、そもそも他人を思い通りに動かすことなんてできっこない。
お願いすることは出来ても、コントロールすることは不可能である。
なぜなら私は全知全能の神ではな…(もうええて´Д`)
三つ目は「まだ起きていないことを先回って心配しすぎている」ことだ。
例えば、翌週は同じチーム内で有給がかぶり、私一人で新人の面倒を見なければならない日があるとする。すると、そういう日に限ってもし緊急の大変な仕事の依頼があったら…と次々に心配事が浮かんできて、コレが起きたらこうして、アレが起きたらああして…と終わりのないひとりシミュレーションが始まってしまう。
もはやリスクヘッジの範疇を超え、どんな小さなリスクをも逃さず見つけ出すことにこそ生きがいを見い出しているヤバい奴だと気づいた。
いたずらにストレスを溜めないために気をつけること

まず第一に、「誰かを変えようとしない」。人間関係の悩みはこれに尽きる気がする。
誰かにこうしてほしい、それはやめてほしいといった願望を潔く捨てること。
天候や電車の遅延、物価高などがコントロールできないように、他人を変えるのは難しい。
変えられるのは己だけ。その人に自分がどう接するか、何を伝えるかといったことだけである。
まずはそこにフォーカスして、それでも状況が打開できない時は思い切って距離を取るのも良し。
距離を取れなければ、ビジネスライクに割り切る(最低限の接触&己の心に鉄仮面)も良し👍
まぁもしかしたら、その相手も自分に変わってほしいと思っているかもしれない。自分もミスしたり迷惑かけたりすることもあるわけだから、ある程度は「お互い様」の精神も大切かなと。。
次に、「失敗やリスクを過剰に恐れず、なるようになる」と考えるようにする。
HSP気質だからか、完璧主義だからか、私は何でもあれこれ準備してしまうみたいだ。
仕事だけでなく日常生活でも、例えばそろそろペットをお迎えした記念日だから豪華なエサを買いに行かないととか、そろそろしばらくぶりに誰誰に連絡を入れておかないととか、そろそろブログを更新しないと(それはせえ´Д`)、そろそろ歯科に行かないと、そろそろ美容院に行かないと、そろそろそろそろ……
と、永遠にそろそろが続いてしまう。。
我ながら怖いのは、体調が優れない時も休むことなくそろそろし続けていることである。
改めて、そのそろそろは本当に必要なのか、今がそのタイミングなのか、本来やらなくてもよいそろそろまでしてしまっていないか、と立ち止まってみることも大切だと痛感した。
結局新人を一人で見ることになった例の日も、当日に新人が体調不良で休むこととなり、あの膨大なシミュレーションのほぼ全てが徒労に終わった。休むならもっと早く言ってくれー(心の叫び)
他にも、連休明けはきっと仕事溜まってるだろうな~とガチガチに構えていたものの、蓋を開けてみたらメンバーが処理してくれていてそれほどでもなかったということもある。
もうあれだ。何でも一人で抱え込もうとして勝手に苦しくなるのはやめよう。
いかに神経をすり減らして備えたところで、未来をコントロールするなんてできないわけだから。
なぜなら私は全知全能のか…(しつこいて´Д`)
あと今回改めて気づいたのは、「自分のことを優先していい」ということ。
言葉にすると当たり前に感じるが、実際に人より自分を優先するとなると、どこか後ろめたさというかためらいを感じてしまう。。
特に自分を犠牲にして誰かのために何かをすることが美徳とされる日本においては。
小さな頃から、私自身もそうあるべきだと、そうありたいと思ってきた。
だが自分が満たされていないと、本当の意味で誰かを満たしてあげることはできない。
他人の言動が気になったり些細なことでイライラしてしまうのは、裏返せばそれだけ自分が満たされていない、ハッピーじゃないということではないだろうか。
本来はそんなもの鼻歌で片付けられるくらいに、まずは自分を満たしてあげる必要があるのかもしれない。
心の声に耳を傾け、疲れた時は素直に休む。空き時間にまで嫌なことやストレスについて考えるのではなく、自分が心地良いと感じることをする時間にする、などなど。。
つまりは、自分で自分の機嫌を取るということ。
もしかしたら人生を軽やかに生きる秘訣は、自分のことを大切にするということかもしれないと、最近思っている。。