くるみの庭 ~ちょっとここらで深呼吸~

パニック障害とともに生きる筆者が、病気や人生のこと、心身の健康のために取り組んでいることを発信。

<思考・ストレス対処編②>実際に試して良かったこと ~心身の健康のために~

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【前回の<思考・ストレス対処編①>のつづき・・】

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④本当に会いたい人とだけ会う
会った後になんか疲れるなという人いませんか?
なんだか心がざわざわしたり落ち込んだり・・・。
でも悪い人ではないし、これまでの付き合いもあるしと、ただでさえ少ない人間関係を失うのが怖くてズルズル会い続け、気づいたら自分が消耗してしまう。。
私の場合こうした背景にあったのは、先に述べた良い人でありたいというPeaple pleaser的な考えや、独りぼっちになることへの恐怖でした。
「一年生になったら、友達100人できるかな♪」と無邪気に歌っていた幼少期より、どこかで親しい人の数が人生を左右する、あたかも自分の価値を決定づけてしまうもののように感じてきました。
けれど、友人の多さや誰と親しいかで、本当にその人の価値は上がったり下がったりするだろうか?独りはそんなにいけないことなのだろうか?
私は思い悩んだ末に、若干の自暴自棄ムードも背中を押して(?)、自分が苦しくなるような人付き合いを一度お休みしてみることにしました。
自分勝手かもしれませんが、もしそれでまた会いたいと思ったら会えばいい。本当の仲であれば、多少間が空いたからといってダメになることはない、そう自分に言い聞かせて。。(もちろんそのためには距離の取り方も重要ですが・・)

結果的に、これをやってよかったと思っています。
しがらみや思い込みを捨て、なるべく自分に正直に生きることにしたら、いたずらに落ち込んだり消耗したりすることが減りました。
それによく考えたら、恋愛でも交友関係でも自分のことを大切にしてくれない人にまで良い人である必要なんてありません。
嫌なことがあってもどうせ人付き合いなんてこんなものだしとか、誠意の無い相手にいつか自分の気持ちが報われるかもしれないとか言い訳を探し続けることは、自分のことを大事にしていないということになるのではないでしょうか。
そんな人たちのために、自分を粗末にするのはもうやめませんか?
限られた時間や労力は、本当に大切な相手や自分のために使いましょう。

 

➄ありのままの自分を受け入れる
ここまで考えて、実は今まで自分が幸せになろうと思ってやってきたことは、逆に自分を苦しめ痛めつける行為だったのではないかと気づきました。
行き過ぎた完璧主義も、報われない恋愛への執着も、人と比べてばかりで永遠に終わらない自分への叱咤激励も。。
勝手にこうありたい、こうあらねばという理想とのギャップに苦しみ、いつの間にかそこを埋めることだけに囚われてしまっていたようです。
『会食恐怖症が治るノート』で、著者の山口健太氏はこう語っています。
「人は1日に約5万回(5万語)もの自己対話をしていると言われています。もし、友達に1日に5万回ポジティブな言葉をかけられたら前向きになると思います。一方、1日に5万回ネガティブな言葉をかけられたら、誰でも調子を崩してしまうのではないでしょうか?」
つまり、自己対話がポジティブかネガティブかによって、心身の状態も大きく変わってくるのではないかというのです。
これにはハッとさせられました。
私は山口氏の提言する自己評価基準で最も低いレベルの「否定ベースの自己評価」でした。
振り返れば、自分を褒めたり認めたりすることよりも、自分を否定したり戒めたりすることのほうが圧倒的に多かったように思います。
このままじゃダメだ、もっと頑張らないと!と。
だけど、どうしてダメなのでしょう。私はそんなにダメな人間なのでしょうか。。
山口氏は、自分の大切な人が何か失敗した時は優しい言葉をかけてあげるように、自分が失敗した時も自分を責めたりせずにどうか優しい言葉をかけてあげてほしいと、自分を大切な人のように扱うことの大事さを語っています。

完璧でなくていい、不完全でいい。
非正規だからといって、自分の価値が低いわけではない。
結婚していないからといって、自分がダメなわけではない。
パニック障害だからといって、自分が幸せになれないわけではない。

これまで自分を縛り付けてきた、○○でなければならないという考えを一度手放してみたら、心が驚くほど軽く穏やかになりました。
あのミランダカーも(唐突・・)、体へ栄養を与えるのと同じように、心にポジティブな言葉をシャワーのように浴びせる「アファメーション」を日々取り入れているそうです。
アファメーションは、「私は美しい」「私は満たされている」など、なりたい自分や自分を肯定するポジティブな言葉を唱えることで、実際に理想とする状態や幸運を引き寄せることだそうです。
たしかに、パニック障害&会食恐怖症(嘔吐恐怖症)の私は人との食事の約束や実際の外食先で不安や緊張に襲われることがあるのですが、「大丈夫、私は心身ともに健康です」や「コース料理なんて久しぶりですごく楽しみ」とあえてポジティブな言葉を心の中で唱えるようにすると、気持ちが上向きになり、実際に発作も起こらず楽しく過ごせる気がします。
逆に、「なんだか体調が悪いな」「発作が起こりそう」などとネガティブなことを考えていると、本当にそういう状態になってしまいがちです。
精神的な病を克服する上でも、こうした自己肯定やポジティブシンキングはとっても大切なのだと改めて実感しています。

自分の人生を面白くするのは自分

小笠原の暑い日射しの下で食べた激うまグリーンカレー

以前どこかで、辛いことや悲しいことがあった時、実際には辛いことや悲しいことが起きているのではなく、自分がそう感じているだけという言葉を見かけ、なるほどと思ったことがあります。
つまり、自分が主観的に辛い悲しいと感じるから、今日は辛いことや悲しいことがあった、となるのであり、逆に嬉しい楽しいなどのポジティブな感情を持てば、今日は良いことがあった、となるわけです。
もちろん本当に悲しいことや辛いことから目を背けろというわけではなく、自分の捉え方一つで幸せにも不幸せにもなれるのだとハッとさせられました。
振り返ればいつからかずっと、常に満たされない、何かが足りないという思いを抱えてきました。
いつまで経っても自分の人生は完璧とは程遠い。だからいつか幸せになるために頑張らなければ。
自分にとって幸せは、何かとてつもなく大きく素晴らしくて、誰もが一目でそうだとわかるようなものだと思っていました。
でも、かの有名な歌にもあるように幸せは歩いてくるものではなく、自分の中から生み出されるものなのかもしれません。
いつか幸せになるのではなく、既に自分は幸せなのではないか?
頼れる家族がいること、面白い仕事に関われていること、大好きなペットの存在・・・
幾つかの嫌な事に引っ張られ、いつしか見失っていた、小さな、でもかけがえのない幸せ。
もしかしたら、自分の人生を不幸で惨めなものにしていたのは自分だったのかもしれません。
これからは何気ない幸せにもっと目を向け、自分を戒めるのはやめて堂々とやりたいことをやろう、そう心に決めました。
このブログもその1つですし、スポーツやボランティア、いつか一人旅行とかもやってみたい。
病が完治したらとか、家族ができたらとか、稼げるようになったらとか、適当な理由や言い訳で先延ばしにしてきたやりたいことを全部やってみようと思っています。
自分の人生を面白くするのは他ならない自分なのですから。