くるみの庭 ~ちょっとここらで深呼吸~

パニック障害とともに生きる筆者が、病気や人生のこと、心身の健康のために取り組んでいることを発信。

【初投稿】まさか私がパニック障害!?

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はじめに・・

私が「パニック障害」(嘔吐恐怖症もあり)と診断されたのは今から約6年前です。
そこから様々な経験を経て、同じような症状で苦しんでいる人やどこか生きづらさを感じている人たちの助けになれたらと思い、ブログを始めることにしました。
今回はそれまで特定の病とは無縁だった私が、いつどんなふうに発症したのか、どういう経緯で心療内科を受診するに至ったのかなどを振り返ってみます。

ごはんが食べられない

最初に異変を感じたのは、仕事後の外食先でした。
どちらかというと大食いで、おいしいものを食べることを何よりの生きがいとしていた私ですが、その日は風邪でもないのに、お店へ着いたらなんだか気分が優れず、あまり食べることができませんでした。
ただお店へ向かうタクシーの中で少し気持ち悪くなったので、疲労から車酔いでもしたのかなと思っていました。
当時の私は働き盛りで仕事に没頭する日々を送っていました。
仕事を面白くは感じているものの(だから没頭してしまうわけですが)、日に日に業務量や責任が増えていき、肉体的にも精神的にもけっこう疲れてはいたと思います。
そういえば、数日前から後頭部にズキズキとした鈍痛を感じていました。普段頭痛とは無縁の私には珍しいことです。
その週は休日出社もしたし、よほど疲れていたのだろう。ゆっくり休めば元通りになる。その時はそう思っていました。

しかし、事態はそれほど単純ではありませんでした。
それから何日か経った休日の夜、また同じ状態になってしまったのです。それも、前回より強く。
その夜は友人と食事の約束をしていて、電車で待ち合わせのお店に向かっていたのですが、その辺りから急激に具合が悪くなり(家を出るときは何ともなかったのに)、最寄り駅に着いた時には、熱があるときのようにどこか平衡感覚がおかしく、ふわふわとした感じがありました。
案の定、お店では2、3口くらいしか食べられず、気分が悪くてトイレへ何度も行く始末(そもそも食べていないので吐くことはありません)。会話している最中に、突如動悸や吐き気が襲ってきて、座っていられなくなってしまうのです。
友人にも心配され、その日は早めに切り上げることにしたのですが、友人と乗った帰りのタクシーでも不意に息苦しさや気持ち悪さに襲われ、堪えるのが大変でした。
明らかに異常な状態でした。自分の身体なのに自分のものではなくなってしまったような、自分の意思でコントロールできないことに強い恐怖と不安を感じました。

「外で誰かと」食べるのが怖い

以来、私は度々同じ症状に悩まされるようになります。
注目すべきはそのほとんどが外食先だったことです。家で食べている時や一人で外食している時には起こらないのですが、会食の場や誰かとご飯を食べに行ったりして、今ここであの症状が襲ってきたらやばいなと思った時にかぎって、それはやってきました。
順調に食べられていたとしても、「あ、お腹いっぱいかも」と思った瞬間、急激に具合が悪くなることもありました。さーっと頭から血の気が引いていく感じです。
またお店では問題なく過ごせても、帰りの電車で気分が悪くなることもありました。

実は、初めて外食先でごはんが食べられなかった「あの日」の半年ほど前、一度お店で吐いてしまったことがあります。
それは仕事後の飲みの場で、普段のように一人モリモリと食べていたのですが、突然立ちくらみに襲われたかのように血の気が引いていき、その場で洗いざらいぶちまけてしまったのです。
この時はお酒も入っていたので単に悪酔いしてしまっただけなのかもしれませんが(体質的にお酒は弱いです)、お腹いっぱいになったら吐くかもしれない、そういう考えが浮かぶようになったのは、もしかしたらこの実際に吐いてしまった経験もあるのかもしれません。

 

電車に乗れない、起きているのがつらい

嘔吐恐怖を抱えながらも、なんとかだましだまし生活していた1年後の春、ついに食べるのに関係なく、例の症状が出るようになってしまいます(2回目のクラッシュ)。
ちょうど配属替えシーズンの直前で、仕事のストレスは最高潮(業務量が多く既に手の回らない状態なのに、来期から更に忙しくなることが聞かされていたため)。
頑張っても評価されづらい今の職場でこのまま働き続けるか?それとも転職か?
はたまた結婚は?老いていく親への孝行は?
漠然とした将来への不安と、自分は何一つうまくやれていないのではないかという焦りから、うまく眠れない夜が増えていました。

それでも今頑張らないと、もっともっとうまくやらないと、と自分を奮い立たせてきたのですが、ある日気づいたら身体が言うことを聞かなくなっていました。
電車や駅など人混みや閉鎖空間にいると、動悸と息苦しさ、吐き気で倒れてしまいそうになります。やがて満員電車はおろか、空いている電車ですら途中下車を繰り返すようになりました。ただ電車で移動するというなんてことのない行為が突然できなくなってしまったのです。
しかも当時はこうした発作が起きていない間も謎の倦怠感があり、熱はないのにまるで熱があるかのように常に具合が悪かったと記憶しています。身体を起こしているのもつらい状態でした。

原因を探るために病院を渡り歩く日々

さすがにこのままではまずいと思い、その時初めて内科を受診しました。
しかし血液検査をしても特に問題はなし。明らかな症状が出ているにも関わらず、身体に異常はないと言われてしまいます。
もしかしたらメニエール病の類かもしれないということで、今度は耳鼻科を受診。
けれど、ここでも異常は見つかりませんでした。
ただ、胃腸の調子も悪かったので消化器内科で薬を処方してもらい、よく噛んでゆっくり食べることや消化や腸によいものを食べることを心がけるようにしたら、あの常にあった倦怠感はだいぶ薄れ、少し調子を取り戻すことができました。

なので、単に胃腸の調子が悪かったのかな、このまま発作も出なくなるといいなと思っていたのですが、結局発作が無くなることはありませんでした。
それどころか1回ごとの発作のダメージは大きくなっていく始末。最近は発作が出てないから大丈夫かなと思って仕事の会食に出向いたものの、食事中(ノンアルです)に発作が起きて散々トイレに籠った挙句にタクシーで帰宅することになり(電車に乗れないため)、そのタクシーも発作で途中下車せざるを得ず、1時間かけて歩いて帰った夜はさすがに泣きました・・・。
本当に自分の身体はどうしてしまったのだろう。原因がわからなければ、うまく対処することも治すこともできません。
動悸や血の気が引いていく感覚があることから、一縷の望みをかけて循環器内科へ行きました。
専用の装置を身に着けて24時間心電図を測ったり、ブドウ糖負荷試験で血糖値の状態を検査したり。しかし、ここでも異常は見つかりませんでした。

最後に辿り着いた先は・・

わからないということが発作に対する恐怖と不安を一層強め、不安に思えば思うほど発作が起こるという悪循環に。また症状的にも周囲に理解されにくく、一人暮らしだったこともあって身近に相談できる人もいませんでした。
ここまでくると、こんなに身体を調べて異常が見つからないということは、原因は精神的なものなのかもしれないと薄々思うようになっていましたが、まさか自分がという気持ちもあり、精神科や心療内科の受診には踏み切れずにいました。

そんな中友人と出かけた旅行が、そうした躊躇いを捨てるきっかけになりました。
1泊2日の旅行中、私は何度も激しい発作に襲われました。電車やバス移動は終始吐き気との戦いで、宿泊先の美味しいご飯はほぼ食べられず、友人には気を遣わせるばかり。
結局楽しみにしていた旅行を何一つ楽しむことができませんでした。
こんな辛くしんどい旅は初めてで、それが思いの外かなり堪えました。
これまでこの体調のせいで出来なかったことも多々ありましたが、それでも自分なりに体調を気遣い、少しずつでも良くなればと前向きにそれと向き合ってきました。
でも、事態は何一つ良くなってやしないのだと、現実を突き付けられた気がしました。
自分の人生このままでいいのか?
これから先もずっと発作に怯え、耐える生活を続けていくのか?
このままだましだまし今の生活を続けていても良くなることは絶対にない。根本的に治さなければ、そう覚悟を決めた瞬間でした。

心療内科パニック障害だと診断された時、あぁやっぱりな(ネットの情報から薄々そうではないかと思っていたので)と思うと同時に、正直ホッとしました。
もうこれ以上答えを探して病院を渡り歩かなくていい、一人で抱え込まなくていいのだと肩の荷が下りた感じでした。
普通に治る病気だとお医者さんに言ってもらえたことも大きかったです。
こんなことなら、もっと早く受診しておけばよかったと思いました。

 

休職、そして自分の生き方を見つめ直す日々

働きながら治療するという選択肢もありましたが、仕事に没頭しやすくストレスや疲労を溜めこみやすい自身の性格や今の環境を考慮した結果、きちんと治療に専念したいと思い、しばらく休職することにしました。
休職期間中は傷病手当をいただけるとはいえ、手取り額は下がること、今回のことを機に将来についていろいろ真剣に考えたいという思いから、アパートを引き払って実家に戻ることに。
仕事も一人暮らしも、これまでの頑張りを全部無駄にしてしまう気がして、なかなか決断できなかったけれど、思い切って踏み出してみたら、そんなことはありませんでした。
確かに途中で足踏みすることにはなりましたが、これまで自分が頑張ってきたこと全てが無くなるわけではありません
私は仕事をはじめ、一生懸命に目の前のことに向き合ってきました。
体調を崩してしまった今となっては、きっとやり方が良くなかったり至らないところもあったのだと思います。
けれど、志半ばで離れることになったのは残念ですが、自分がやれるだけのことは精一杯やったのだと胸を張って言えます。自分を恥じる必要はないのです。
(正直当時はそこまで思えなかったかもしれないけれど、これを書いている今、はっきりとそう言えます)

病気で手放したものもありますが、得たものもあります。
それは、私は決して一人ではないということです。
これまで弱い自分や不完全な自分を人に見せるのは良くないことだと思っていました。
完璧でありたい、理想の自分でいたいという思いは、いつしかそうでなければならないという無言のプレッシャーに変わっていました。
でも、今回病で休職することになった私を、同僚や家族は否定することなく温かく受け入れてくれました。
「もっと頼ってよ」ある人にそう言われた時、不意に涙がこぼれました。
私はいかに自分で自分を孤独にしていたのかを知りました。

定期的に心療内科へ通いながら、薬物療法認知行動療法を行い、一時的に仕事の疲れやストレスからも解放されたことで、だいぶ発作の回数も減り、体調を整えることができました。
仕事に復帰する際は、病気についてある程度理解してくれている職場で少しずつ慣らしていくという方法もあると思いますが、今後の人生や仕事について真剣に自分と向き合った結果、復職せずに退職することにしました。
幸い実家住まいで貯金も少しはあったので、仕事については体調を見つつ焦らずゆっくり探すことにしました。

あれから約6年後の現在は・・

私は今、非正規で週3、4日、前職の経験を活かしてweb関係の仕事をしています。
将来的にはフリーのような形で仕事をすることを目指していて、その構想や準備のためにフルタイムではない働き方を選びました。
まだ薬は飲み続けていますが、電車通勤や外食、旅行など日常生活はある程度支障なく送れるようになりました。
ただ今でも疲れやストレスが溜まった時などは、発作が起こることがあります。そんな時は、焦らず適切に対処するよう心がけています。
いつかは薬を卒業し、もっともっと心身ともに健康で自由に生きられるようにと試行錯誤の日々です。

このブログではパニック障害との日々で気づいたこと、心身ともに健康になるために取り組んでいることなどを紹介していけたらと思っています。
実際に試してみて良かったことや逆に症状が悪化してしまったことなど、同じパニック障害を抱えている人や、どこか生きづらさや息苦しさを抱えている人の役に立てれば、こんな嬉しいことはありません。

ぜひ一緒に前を向いて歩んでいきましょう!